日常から、また三者面談から
2020年8月4日 18時07分 コロナ禍の中、感染防止にご協力いただきながら、三者面談を実施しております。学校は皆様のご理解ご協力なしには成り立ちません。いかによりよく教育活動を送るか、についてご意見をいただきたいところです。ご意見をもとに皆様の中に、議題としてお返ししていきたく存じます。ご意見の中には、ご家庭の心配やお悩みが直接伝わってくるものもあります。コロナ禍の中、匿名で教育委員会にご相談いただいた例もありますが、港区教育委員会からは、本校の対応を認めていただき、多様なご意見があることの現実に同情されたり、励まされたりしていました。
「多人数で行う保護者会は実施するな」「感染が心配な部活動になぜ参加させるのか」「オンラインゲームの良くない流行は学校が指導せよ」「給食の味が口に合わない」などについては、真摯に受け止め、改善に努力しますが、皆様との議論を経てみたく存じます。
いずれ、落ち着きましたら皆様と議論したいことです。これまでの社会で起きている例の通り、どんなに注意しても感染が避けられないのは、学校も例外ではありません。「内外教育2020年7月21日号 巻末の「ラウンジ」欄で以下の記述がありましたので紹介します。
「日本では、学校教育の比重が大きく、児童生徒にとっては学校は大切な社会生活の場であり、人間関係を学び育てる場である。だからこそも学校の再開を児童生徒も待ちわびていたのだ。ところが、大人でさえ、恐怖心は感染者への憎悪に転化する。隣町のコロナ感染者宅は、投石や落書きで荒廃した。新語の根源にある人間不信が、児童生徒の今後の人間関係に影響を及ぼすことはないだろうか。とにかく一律にソーシャルディスタンスだ、でなければならないのだろうか。/教育の対象は多様で、児童生徒の個性も家庭や地域社会の環境なども千差万別だ。だから、指導にも様々な工夫が必要なのだ。ところが、学校現場がそれを検討する前に、多くの見方や考え方の一つであるはずの言葉が結論とされて先行し、学校を指導する。最近、少なからずみられるパターンだが、上意下達で実施が簡単である代わり、無視される現実が多くなって思考が一面化する。/これでよいのか。コロナ禍への対応を機に、改めて検証してほしい。(I)